幼馴染の命日。

まもなく、お盆ですね。
7月31日は私にとって特別な日でした。
最も大切に思っていた、幼馴染の命日だったんです。



彼女は私の小学生時代の楽しい思い出そのもの、でした。
一緒に日曜学校(キリスト教会の教会学校です。無論、自由参加です。)へ通い、楽しく毎日遊んだことです。
小学4年になり彼女が転校していってしまう、その日までは。

その後も、級友たちと彼女の家まで遊びに行ったり、年賀状をやりとりしておりました。
(一時期、私の貧乏のあまり、2~3年中断していた頃もありましたが。)
不思議にも小学生時代、虚弱だった彼女は、成人して以降、大変丈夫になり、うってかわって、小学生時代に健康優良児かと思えた私はとんでもなく病弱になってしまっていて。
そんな20歳のころ、年賀状を読んだ彼女がお見舞いに私をわざわざ訪ねてきてくれたことがありました。
…それはとても嬉しい再会でした。

その後、原因不明の体調不良のために高校を中退していた私は、知識欲だけのために通信大学での勉学とアルバイトに明け暮れていました。
そんな私の元にある日、彼女の訃報が。

ちょうど私たちが28歳になる年の、夏でした。
少し前に、やはりその年の年賀状で彼女が入退院を繰り返していることを知り、入院先の大学病院へ見舞いに行きました。
2度目も行くつもりで…。
子どもの頃よく遊んだ、着せ替え人形もわざわざ新規に購入して用意していたんです。
『ほら、こんなのでよく遊んだじゃんねー!最近のはスゴイんよー』、…なんて言うつもりで。
でも、通信講座とアルバイトで心身共に、くたくただった当時の私。
手紙は書いても、なかなか思うように時間が作れないでいました。
そんな時、一本の電話が深夜近くにあったんです。

信じられませんでした。
というより信じたくありませんでした。『必ず、よくなる。』と信じ込んでいた。
現実を直視できていなかったんです。もしかしたら彼女はダメかもしれない、と…。
本当ならお見舞いに行ったときに気がついていてよかったことかもしれなかった。
私は、それでも信じたくなかったんです。
直視できていたら、単位をとることを捨ててお見舞いを優先していたことでしょう。

彼女が教えてくれたのです。
私にとって、「いま何を優先しなくてはいけないか」、ということ。
それに気づくための『ゆとり』の大切さを…。

以後、何かに執り付かれていたかのように学ぼうとしていたこと自体を止めました。
(すでに社会人である私には、必要ないことだからでした。)
ゆっくり、自分のペースで学んでいけばいい。
2度と、『優先順位』を間違えてはいけない。いえ、間違えたくない。
いまも、そう思っています。

今年も命日に、彼女のご両親にはお会いできませんでした。
例年どおり、お供え用にと、飲み物を送りました。
今まではあまりに辛く悲しくて、お会いできなかったのですが…来年はちゃんとお会いしてご挨拶ができるかもしれないと思っています。
(彼女は一人っ子でしたので…ご両親の嘆きを思うと辛過ぎて。勇気が持てず、それで今まではとても会えませんでした。)
そろそろ悲しみもやわらぐ頃なのでしょう。きっと。
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by my-shop | 2004-08-09 04:29 | ★ ひとりごと ★


ネットショップの店主(あるじ)です。ただいまのんびり中♪
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